Fラン化する大学
「Fラン化する大学」という書籍を読みました。
普段読まないジャンルの書籍なのですが、ついこないだ、知り合いの会計士が、
「僕はFラン大出身ですよ。」
と少し寂しそうにいっていたのを思い出して、
「Fラン大ってどんな状況なのだろうか?」
と興味が湧き、読んでみました。
私は、高校を卒業してから就職をしているので、一応は大学(夜学)を出ているのですが、日中の大学の雰囲気がわかりません。
なんか大変そうだった
イメージとしては、地方の私立高校みたいな感じなのかなと思いました。
地方だと、関東圏と違って、勉強ができる子は公立の高校に行きます(今も同じなのかは知りません。)。
なので、私立と言うと、名前が書ければ入学できるような学校のイメージが湧きます。
さすがに授業中にモップが飛んでくることはないとは思いますが、真面目に授業を聞いている生徒は皆無なのではないかと思われます。
(実際のところはよく知りません。私立の高校に行ったことがないので。)
ある程度の大学でも同じような状況?
この本を読んでいて、ちゃんとした大学を卒業して会計士になった方が、ふとした時に、
「大学に行ったけど、周りはバカばかりだった。」
と、普段とは違う、かなり強い口調で怒ったように話していたことをふと思い出しました。
テストの点数が良い悪いという意味でバカばかりだったという言い方ではなく、日常の生活の仕方とか、そういった面に対して言っている風だったんですよね。
で、別の同じような大学を出た会計士も、まったく同じようなことを言っていて、当時は、
「随分きついこと言うなぁ~。」
と感じていたのですが、もしかしたら、彼らの大学もFラン化してしまっていたのかもしれません。
もはや偏差値関係なく、Fラン化してしまっている可能性があるということなのでしょうか。
どうやって自分を持ち続けるかの勝負なのではなかろうか
たくさんではないですが、こういった話をいくつか聞くと、偏差値がある程度高めの大学に行ったとしても、結局はどこにでもそういった層(やる気がない層)はいるわけで、そういった層から距離を置いて、どれだけ自分を持ち続けることができるかにかかっているのではないか、なんて思ったりもします。
高卒で社会に出たので、高卒で社会で生きていくことの不便さが身に染みており、我が子には、最低でも、大学は卒業して欲しいと思っています。
高卒ですと、実務経験年数という観点では、大卒よりも4年間多く経験を積むことができますが、「大卒」と履歴書に書けないことで、デメリットがありました。
(「高卒で積める4年間の経験って、バイトに毛が生えたくらいでしょ?」というリアクションも受けがちですしね。)
たとえば、どこかの企業に入りたいと思っても「大卒以上」という応募要件を満たせなかったりしますし、税理士試験を受けるためには、現在はどうなっているのか知りませんが、簿記一級を取るなど別途要件が課されたりします。
こういった煩わしいことを避けるためには大学は出ておいた方が良いなと思う訳です。
で、なんとか、大学に入ってくれたと思っても、この書籍にあるような状況になってしまっている大学に入ってしまうと、それこそ、4年間という大切な時間と、決して安くない学費をどぶに捨てることになるわけですよね。。
なんかもったいないですよね。
20代前半のあの時期の頑張り次第で、その後のながーーーい人生が大きく変わってくると思っていまして、それを、自ら放棄しているように見えます。
真面目にやってみると案外おもしろい
税大で経験したので、そう思いますけど、時間をかけてじっくりと調べ物をしてみたり、仲間と議論してみたり、論文を書いてみたりするのって、今になって振り返ってみると、すごく有意義な時間を過ごしていて、楽しかったなと思います。
仕事をしていくうえでも重要な財産になりますし。
きっと、今は、人口減少が続いていて、大学側も変革が求められているという過渡期なのではないかと思います。
変化をしていくなかで、既存の問題が解決しても、また別の問題が起こったりするのかもしれませんが、Fラン大学問題が解決することを願っています。
(人生を無駄にしちゃいかんですよ~。)
日々精進。