ゾン100
ゾン100というアニメに、リスクヘッジお姉さんと呼ばれているキャラがいます。
その方、お父様がかなり厳格な方だったようで、小さな頃、事あるごとに「~すべき」と言われて育ったことに対して、すごくネガティブな感情を抱いています。
それを見てから、無意識のうちに、「べき」と言っていないかを気にするようになりました。
(それでも、たまに言ってしまっているのではないかという自覚はあります。)
久しぶりに言われた
お仕事の関係で、ひさびさにこのフレーズを言われる機会がありました。
「~すべき」ではないんですか?と、とても強い口調で、何回も繰り返し。
発言者の方、お仕事に真剣に向き合われており、それゆえに、出てきたご発言だと思うのですが、実際に「べき」を連発される方にお会いして、少し辟易としてしまいました。
なんだか小さく見えた
「べき」って、言われる側からすると、とても強い言葉です。
まったく使う「べき」ではないとまでは言いませんが、控えた方がいいんじゃないかと思っています。
なぜかというと、人にはそれぞれ、価値観や、物の見方があり、それによって、「べき」が変わるからです。
この感覚、国税という職場を出て、監査法人に行って、法律事務所に行って、いろいろな価値観の方と接する中で、身につけました。
国税の職場に居続けた場合は、税務だけの観点から「べき」と言ってしまいそうですし、監査法人に居続けた場合は、会計だけの観点から「べき」と言ってしまっていたのではないかと思うわけです。
だからでしょうか。
今回「べき」を連発した方を見ていて、とても小さく見えたんですよね。
もっと、外に出て、いろんな方の話を聞いて、視野を広げた方がいいんじゃないだろうかと。
その方、私よりも年上の方だったのだと思われます。
なので、
「何だこの若造は?」
という含みもあって、「べき」を連発されたのかもしれませんが、人の見た目や年齢で、その人を判断す「べき」ではないと思っています。
今後もこういった方にお会いする可能性が無いわけではないので、こういった場面では、少しでも、視野を広く持つことの大切さを気づいていただくために、真摯にむきあう「べき」か悩んだのですが、残念ながら、一つの組織にいるうちは、気付けないように思われ、無限に増殖し続けるこういった方を、私のようなちっぽけな人間が対処す「べき」ではないと思うに至りました。
申し訳ないとは思いつつも、ほったらかしにして、ある程度距離を置いて、もう少しだけ接してみようと思います。
日々精進。